昼食終わりにフラっと寄りました。
そこそこ近所ですが2回目。
前回は、
ここから入山。(今考えると物凄く罰当たりや)
立派な社殿。
ここから西側が少し気になったもので、行ってみると、
広場があって、この右側から登山道になっていたのを発見。
地形図ではこの辺り。
そんで、後で調べるとこの広場は、御旅所との事で、
(勝手に申し訳ないがネットで見つけたのを拝借)
しかも巫女さんの間にはなんと猿田彦が。。。
しかしながら荒川神社で祀られているのは、
水波能女大神、との事で。
う~む。。。(理由を見ると納得はしましたが)
しかも、
伊和が関係していました。
そんで、社殿の裏の山は、
なんと「宮山」と呼ぶそうな。
(伊和やがな!と 笑)
前回登った時はそんなに興味が無かったもので気にもせんかったが、アレやコレやと調べたり現地に行ったりで、色々と繋がってんなぁ、と。
兎にも角にも磐座、或いは山が御神体でしょうね。
そんな訳で入山。
前回は無理矢理登ったもんで、藪山としか言えんかったが、こんな歩きやすい道があるとは 笑。
人工的っぽいです。
展望ポイント。
苫編山方面。
ほどなく宮山と思われるピークに。
北側↓
東側↓
手柄山がバリバリに削られている様子も見える。
ただ、このピークは
残念ながら猛烈に荒れています。
荒川ならぬ荒山やでぇ。。。
いや、前回来た時もこんな感じやったかもしれん。
これはちょっと悲しくなるので次は綺麗にしに行くかなぁ。
いやしかし「伊和」に「宮山」とな。
前々から「伊」と言う字が気になっていたのですが、どうやら
聖職者を指すとの事で。
それこそ伊邪那岐命、伊邪那美命も「伊」であり、伊勢もまた然り。
上で見られる「名乗り」では「いさ」もある。
天津神の多くがユダヤ人だったと様々な書籍で読むが、やっぱし関係しとんやないかなぁ。
う~む。
ただそうなると、我々日本国民の神様は国津神の大国主、大名持(私的にはこちらの名前、オオナモチ)こそが国神と言えます。
でもですよ、伊和神社に祀られているのは大己貴神(オオナムチ)なんですよね。
う~む。。。
悪く言えば国津神である大名持を天津神系の社で封印しとる、って事も考えられる。(んな事ぁ無い)
まぁでも日本国は世界最古のハイブリッド国家とも聞くのでどっちがどうとも言えませんが 笑。
ちなみに、
ヤマト国大神神社は大物主。
悪く言えばを言ったからには良い方(ロマンの話)も言うと、「伊和」とはユダヤとヤマトが交わったと捉えると何とも感慨深いものがあります。
ま、ただの妄想ですが()
言ってしまうと天津神、国津神の記紀設定にはかなり無理がありますから 笑。
(やのに大神神社、大物主?って感じで)
それで言うと大国主はスサノオの子供で、天照やツクヨミの兄弟やから天津神(途中から国津神)で、どう言う事?と 笑。
もっと言うと出雲の伝承としてはスサノオは徐福とされていて、徐福はユダヤ人であるからその息子の大国主もユダヤ人のはず。
秦氏もそうで、八幡(ヤハダ)はヘブライ語で「イェフダー」と考えられていてその意味とはユダヤの事。
なんやろ、悪く言えば闇深く、良く言えば奥深い。(のか?笑)
「八」と言う数字が気になる所です。
大国主の別名に八千矛もあったり、ってかその先祖もやたら八が付く。
※こちらは出雲伝承の方で記紀とは異なります。
ちなみに日ユ同祖論を唱えているのは日本人だけでなく、(と言うか言い出しっぺはスコットランド人)海外でも結構言われとんよね。
「jewish japanese」でググると面白いのでお暇な方は是非。
YouTubeのとある動画のコメントを載せときます↓
いやしかし伊和と大和の関係性がより気になりました。
そう言えば大和三山と同じく伊和三山(いずれも磐座がある)もあるんよなぁ。
やっぱし出雲族が大和に大移動する時に播磨で過ごして、同じ様に国造りをしていって、的な。
としか思えん()
ま、全国的に○○三山はそこそこありますが()
最後にWikiやけども↓