古本屋(某CK OFF)で諸々を購入。
「日本の七十二候を楽しむ -旧暦のある暮らし-」
こちらは以前に購入した、
「にっぽんの七十二候」とまぁ類似と言うか、そのまんまと言うか、いやいや、また少し、いや、濃く書いてるもので、より深めたいと思っていたので良いタイミングで出会いました。
本は偶然の出会いが吉です。
その「偶然」頼りで読みたかったのが、
東洋医、内海聡氏による「2025年日本はなくなる」
こちらは今年出版されたもので、直ぐにでも読みかったが近くの本屋には無かったので、それこそ偶然の出会いに期待してました。
してたが、忘れた頃に来たな 笑。
いやいや、忘れてないからこそ買えたのです。
もっとも言いたい事はなんとなく、見当はつくのですが 笑。
(裏帯からにじみ出てます↓)
「新型コロナウイルスとは、なんだったのか?」
-すべての茶番劇は"たくさんのウソ"からはじまった
「新型コロナワクチンによる「超管理社会」の到来」
-ワクチン騒動は日本をどう変えたか?
等々。(この辺りのは数冊既に出されています)
それよりも、
「これは陰謀論ではない!」
「現役医師が緊急提言!」ってのがYouTubeで言うサムネっぽいなぁ 笑。
他の人からも2025年が日本の分岐点と度々に見聞きします。
大阪万博も2025年やしね。
私もなんとなくではあるが、来年の2024年から徐々に、2025年でガラリと、なイメージがあります。
ですがそれは日本だけに限らずやと思うし、逆に残る所は残るとも思う。
これからは小さなコミュニティーが肝、とは書いた事があるが、その通りになるのか、はたまたそれさえも潰してくるのか。
それは解らんくなってきたが、まぁそれでも残る所は残るやろう、と。
むしろ、敢えて遺すとも言えます。
差を見なければ解りませんからね。
最近では地球温暖化から気候変動と言う言葉に変わってきた事もあったり、度々に言われているのが温暖化の真逆である間氷河も。
(これについては私的には地殻変動がリアルなんじゃないかなぁ、と)
あと何と言っても近頃ニュースでも煽りに煽ってる南海トラフ、地震も怖いですよね。
私も備えあれば何とやらと備蓄もしたが、ぶっちゃけた話が今となっては「南海トラフが来たら備蓄もクソも藻屑とならぁ」なんて思ってるので、知識と経験だけを貯蓄する事にしました 笑。
もうね、そんな事でストレス溜める方がしんどいわ 笑。
これは勿論、なんとなくで買った。
これは近頃友人たちと電車旅もする様になったので購入。
「駅から登る 岡山の山100座」
(昭和のセンス丸出しな表紙やが2019年出版)
しっかり25000分の1の地図で記載されているのが良い。
最後にこちら↓
「播磨史の謎に迫る」
ま、謎は播磨史どころでは無いんやけども 笑。
古事記や日本書紀の1番の謎では、富士山が書かれていない事なんかがもう、謎すぎるやろ 笑、ってなもので。
あんなデカい山をスルーってどう言う事やねん、ですよ。
何かしら理由が無いと誰も納得出来んでな 笑。
その理由こそがまぁ、日高見国であったりするんかなぁ、と。
史実としては遺せなかった大和国vs日高見国があったのか、それは解らんがでも何かしらの理由があるのは間違いないやろうねぇ。
富士山をスルーしていると言う事は古事記日本書紀を書き遺した藤原フヒト(漢字忘れた)やその周辺にとっては都合が悪い事があったんやろう、と考えるのが自然です。
良いところで折り合いをつけて上手く調和、そして融合していくのが世界最古の混血人種、日本人と私なんかは思っていますので、戻ってきた大和民(渡来(天孫)系弥生人)と原住民(縄文系、或いは縄文人そのもの)と何かしら勃発して、結局は上手くまとまったんじゃないかなぁ。。。
世界最古の混血人種と言うのは、日本人でも何故様々な顔がいるのか?と言う事です。
そらもうアンタ、文書に遺さずとも顔が物語っとるやろってなもので。
(おっと、播磨の謎やった)
「播磨史の謎に迫る」こちらを買ったのは目次を見て
「陰陽道の果てに」
いきなし、播磨陰陽師のナゾに迫るだの、陰陽道は生きているだの、こんな事書かれたらそそられるわ~と 笑。
それから、「古代の神々の争い 天日槍と伊和大神」にて、伊和大神の「イワ」の意味するもの、伊和と三輪と於和。
こちらは私も考えていた事ですので、照らし合わせてみよう、な感じです。
特に伊和と三輪(奈良)、こちらは私的には伊和大神(オオクニヌシ、オオナムチ)は本来は大和(奈良)の三輪に行こうとしていたんじゃないか?と思っていたんです。(勿論出雲から)
それを水が合ったもんやからついつい滞在してしまった、と。
三輪山(みわやま)麓にある、大神神社(おおみわじんじゃ)、と伊和神社(いわじんじゃ)、鬼門の位置に座する宮山(みやま)。
私的にはどうもここがかなり引っかかる。
ちなみに大神神社の祭神はオオモノヌシ、配祀にオオナムチとスクナヒコ。
言ってもオオクニヌシは役職名、官名なので出雲から大和(奈良)への移動中に一宮(宍粟)に滞在と言うよりも、各地のオオクニヌシの話が一宮でもある、と言う考え方もある。
言ってみりゃ今で言う県知事みたいなもので。
かつては国と言えば「日本」ではありません。
やからこそ同時期に各地でオオクニヌシの伝説と言うか逸話が残っているのは瞬間移動したとか宇宙船に乗ったとか、そう言う事ではなく、単純に各地のオオクニヌシ(県知事)がそれぞれ同じ時期にその土地々々で逸話を残したのでは?と考えるのが私的には妥当です。
ただ、「伊和」の謂れの一つとして大和の三輪(大神)と何かしら関係しとんじゃないかな~なんて思っていましたので、この本に出会ったのは良かった。(まだ読んでないけど)
それは例えば播磨国のオオクニヌシ(知事)が大和国のオオクニヌシ(知事)に会いに行ったり、そんな事は余裕でありえるので、ま、オオクニヌシは1人では無いのが本来の通説や、とツッコミたいのです 笑。
どこから国として動きだしたのかはまだ私としてはハッキリと解らんので確定的には書けんが、その国で初めてオオクニヌシの官が設けられたとして、その初めての人、それこそが「オオナムチ」なのかもしれませんね。
兎にも角にも読むのが楽しみです。
ちなみに「本は偶然の出会いが吉」と書いたが、タバコ辞めて、SNSも辞めて、ついでに言えばバンドも辞めて、それなもんで本を読む機会が増えたのは必然ですね 笑。
(いや、待てよ。アレもコレも流れの中で辞めたから偶然か?いやしかし、う~む)
人間行き着く所はアナログじゃないと人間では無くなる様な気がします。
メタバースじゃ生き地獄よ。
まぁでも意識(魂)はデータ上にあれば良しとして、身体の売買とかやりだしたらオモロいのはオモロいけどな 笑。
(キリストの復活は近いぞー!)