jfcgym’s blog

山と格闘技と私

播磨國一宮伊和神社、宮山、古本屋。

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播磨國五之宮巡りも今回が最終、宍粟は一宮に座する伊和神社に行って参りました。

いきなりの写真は「本殿よりパワーあるがな」な所。

 

今日の紙地図↓


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予定としては火魂神社→七社神社→伊和神社→産霊神社→宮山→一ツ山古墳→昼食、と言った感じです。

 

先ずは火魂神社。


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手作りの案内板が立ってます。


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由緒等の案内板はありませんでしたが、祭神は火之加具土神(ヒノカグツチノカミ)となっています。

かなり新しめで、地元の方向けなんでしょうね。

ここより少し北に、


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日向大明神。

祭神は長水城十代目城主の宇野日向守祐久清野城主、との事。

長水城行ったな~景色抜群やったなぁ、とほのぼの。

建立は昭和55年とこちらも若い。

ただこちらボンヤリマップでは、


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記載されているが、


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地形図となると神社記号がありません。

多いですよね、この感じ。

 

次は七社神社。


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めっちゃ立派な鳥居。


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土俵かな?

子供の相撲が奉納されているのでしょうか?


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拝殿。

こちらも若そうです。

由緒を読むと、平成十一年建設省河川改修に伴い神社移転の止むなきに至り、云々とあった。

直ぐ隣が河川敷で、


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何やら良い空気が流れてる所があったが、元々はここやったんやろうか?と。

写真を撮っていると、地元の人がいたので話を伺うとやはりここに元々社殿があったそうです。

ちなみに七社はナナシャと読むそうな。

祭神は大己貴神(オオナムチ)。

目的の伊和神社の祭神も同じくオオナムチで、祀られている伊和大神はこのオオナムチとオオクニヌシ、アシハラシコオノと同一神とされています。

また、由緒には「伊和大神足どめの宮とも称され、伊和神社の御札場と位置づけられていました」とあったので、この七社神社も国造り神話に於いては大きな役割りを果たしていると考えられます。

伊和神社のネームバリューやインパクトが強烈過ぎてここは知られていないんやろうなと思うと寂しいものがあるなぁ。

 

そして、


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播磨國一宮、伊和神社に。

こちらも先日行った多可町の播磨國二之宮である荒田神社と同様控柱が立つ、いわゆる両部鳥居でした。(う~む。なんでやろ。)


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拝殿。

参拝されている方も他と比べるのも野暮やが結構いた。

さすがと言うか何と言うか。

祭神は先に書いてしまったがオオナムチ。

由緒案内にもやはりオオクニヌシと伊和大神と同一神にされていました。

配神はオオナムチとのデコボココンビであるスクナヒコ、それから下照姫神(神格は雷神、父はオオクニヌシ)。


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夫婦杉。


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播磨十六郡神社。

左は本殿で工事中。


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こちらは鶴石で、白鶴二羽が石の上で北向きに眠ったから伊和神社が北向きとなったとされています。(んーほんまか?笑)


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右から播磨十六郡神社(姫路近辺はこちら)、五柱社、御霊殿(伊和さん)。

五柱社にはアマテラス、スサノオ、ウカノミタマ(スサノオの娘)サルタヒコ、そしてクニトコタチさんもいました。

※日本の国神はアマテラスが通説ではあるが、クニトコタチこそが国神、真の太陽神とする俗説もあります。

 

 

一通り参拝してウロチョロ。


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市杵島姫神社(弁天さん)。

 

そして冒頭の、


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この巨岩郡。

ぶっちゃけた話がこれこそが御神体なんじゃないか?と思ってしまう程にはパワーがあった。

伊和神社とはひょっとして磐座信仰なのでは?と。

やからこその「イワノオオカミ」と。

これは後で登る宮山に入って尚更思ったんです。

播磨国風土記に書かれている「伊和」の由縁はハッキリ言ってまったくもって信憑性が感じられません 笑。

(これについてはほとんどの地名に言える事やが 笑)(名付けテキトー過ぎるやろ、がほんまに主)

飾磨なんて、


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「鹿鳴くかも」からですよ()

(それで言うたら山のほとんどがそうやがな)

(全国区やがな)

(なんやねん、「鳴くかも」て)

(「かも」て)

(そらおったら鳴くやろ)

(「鹿鳴くやろ~」が正解や)

 

そしてこの岩郡の西側には、


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この様な石の造形があった。

「なんやコレは、、、」と驚きの一言です。

ぶっちゃけた話が、天(宇宙)に向けての発信としか思えん、と 笑。

そんで伊和神社の本殿はここの位置から言うと南側にあたる。

伊和神社が何故北向きなのか?

鶴が何て?なんや、二匹の鶴がどやのこやの、えっ?なんて?笑。

これどう説明すんの?笑。

オモロすぎるやろ 笑。

いやしかし昔の人のやる事は解らん、ってのが正直な気持ちです。

伊和神社はこれにてお腹いっぱいになったので 笑、颯爽と宮山の方へ 笑。


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山麓にある産霊神社へ入山願いがてら伺います。


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結構凄い。(空気が)


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由縁を↓


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祭神は磐裂神(イワサクノカミ)との事で、ここでも「磐」が。

 

それからなかなか珍しいのが、


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拝殿前に祓詞が貼られていた。

言っても私は、


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持参しているのですが()

今日こそ要るやろう、と 笑。


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11:32 宮山登山口にて入山、登山開始。

「登山」と言っても至れり尽くせり道なので山歩き程度です。


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11:48 「お~これかぁ」とネットで見たベンチ。

しかもちょうどしんどくなる頃合いのベスポジです 笑。

山登りは最初の10分が大概キツく、ここを乗り越えると心拍数も気持ちも落ち着いてきます。

ただこの宮山は1度登ったら頂上まで登りっぱなしの為ずっとしんどい()


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せっかくのベンチって事で座らせて頂き、腕時計のコンパスを確かめる。

(「まぁ、大体やな」な感じで)


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標高はどうか?(416m)


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(「まぁ、大体やな」な感じで)

(言うてどっちが正しいのか、どっちも正しくないのか解らんが)

 

足を進めると、
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山を削って(登山道全部削っとるが)出来たちょっとした窪み、「なんやろ」と上を見ると、


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石垣が。。。

そう言えば祠があるってネットで見たな、と。

ただそのブログでは「巨岩群に興奮しすぎて本来の道ではないところを歩いてしまったようです。」と書かれていた。

私は兎も角無理矢理尾根に取りついてみました。


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石垣の正体。


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上は吹き抜けています。

ここを磐座、祭祀として神事を行っていたのでしょうか?

しかし祠は見当たりませんので進みます。


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良い!かなり良いぞ!なんて心踊る。


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そして見つけました。


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残念ながら転けていた。


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直しました。

周りを見ると鹿の糞がありましたので、鹿の仕業かもしれません。


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ここ、めちゃくちゃ凄かった。

宮山、「宮」山。

山自体が御神体なのか?

やはり磐こそに信仰していたのかもしれない。

そっちの方が「伊和」の由来としては説明がつく。

と言うか納得出来る。


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一つ山祭とは播磨國総社も関係しているそうやが、う~む。。。

私的にはやはり古神道における磐座信仰こそがほんまのところなんじゃないか?と。

ぶっちゃけた話が明治維持以降の国家神道神社本庁及び神道政治連盟には私としては如何なものかと思っていますので、余計に思うし、考えてしまう。

真の和とは?と。(ここで言う和は大和政権のものではありません)

神社があればお金は掛かるし政治が動いていれば利権やしがらみだってある。

言ってしまうと、磐座信仰(だけでもないが)(自然信仰)にはまぁお金は掛からんやろうからね 笑。

それにほんまの意味で精神的な神事が行える。

それをかつては呪術としていました。

それを絶ち切られた訳です。

日本の精神、魂、そしてその紡ぎを。

(ソーラーパネル?ふざけんなよって話です)

 

いやしかしここが強烈すぎたので、


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ピークはサラっとや()

 

12:13 宮山(みやま)、四等三角点「東市場」に到着。

 

そんで下山していると気づきましたが、


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こんなプレートが。

私はもっと下から無理矢理尾根に取りついたが(と言うか昔の人はこう登っていたやろう、と言う想像の登り方で)、ここからなら楽に行けたんやろうか?笑。

 


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12:39 下山完了。

 


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駐車スペースから。

真ん中辺りが伊和神社で、その先にこんもりとした所、あれが古墳かなぁ、な心の声。

 


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なんと畑に囲まれていた 笑。(大豆)


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一ツ山古墳。

ここもその名の通り一つ山祭に関係しているのでしょうか?

築造時期は古墳時代中期の5世紀頃とされているが、詳細は不明。謎。

ただここの古墳と伊和神社、宮山の位置関係が面白いんよなぁ。


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四等三角点「一ツ山」

 

さて昼食でおます。


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本当は福籠と言う以前行ったラーメン屋に行きたかったが閉まっていたので近所のラーメン屋「椿」に。

こちらはもう閉店しているが姫路にもありました。

 

そんで、某古本屋(転売屋に荒らされたら困るので名前は伏せときます 笑)にて。


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諸々を購入。

右上から「関西ハイキングガイド」、「新・山靴の音」(文庫で既に読んでますが 笑)、「北坦の山と雪彦岩峰郡」(激シブタイトル)

「美しく読む播磨国風土記」、「姫路の神社」、「ひょうごの地名再考」(こちらも播磨国風土記に書かれる地名を疑ってる内容です 笑)

その下、「出雲の古代史」、「神道信仰と民衆・天皇制」(こちらもまた国家神道に疑いを抱く内容)

あと漫画で「日本人と天皇」(こちらもパラ読みした感じでは上に似た内容かな)、「秋の舞姫

 

私の思考にはタイムリーな本も買えてたいへんに満足です。

(本屋時は集中豪雨やったがそのおかげでゆっくり見れた)

いや、一日通して満足でおました。

ちなみに「宍粟」の名前の由来としては「宍」が「シシ」「シカ」等の肉で、「粟」は元々の「宍禾」の「禾」の通りにも穀物に関してで、肉と穀物が由来とされています。

そして「禾」は「カ」と読むので実質的には「シカ」となるが、言った様に穀物

穀物(稲)を持って来たのは渡来人が通説で、渡来人と言えば何を言っても稲荷神社や八幡神社松尾大社の「秦氏」で、「秦」の中には「禾」がある。

私は以前書いたと思うが「伊」と言う字は渡来人が関係しているんじゃないか?と思っていて、今日行った伊和神社は新羅国(しらぎ)からやってきたアメノツチボコがいて、伊和大神が守る為に戦ったとされているが、神話の中で実はイワノオオカミは負けて「イワ」の称号を奪われ「伊和」になったのでは?と思ったりする。

もしくは和解し、共有、共営した。

○○命、○○尊、○○神は、役職と言うか組織的な見方をしているので、会社経営として考えたならば、と言った感じです。

 

そんな訳で播磨國五之宮巡り、

 

五宮 高岳神社(姫路)

四宮 白国神社(姫路)

三宮 住吉神社(加西)

二宮 荒田神社(多可)

一宮 伊和神社(宍粟)

 

これにて終了。

 

さて、次はどうすっかなぁ。