今回は前回と違って考察とは言えんが一応続きものとして書いてみます。
先日買った↓
こちらでも古墳に関する事が書かれていた。
要は水田開発の為池を作ったり水路を作ったりで出た土を盛ったのが古墳だとする説。
そこに指導者を葬った等々。
これには
https://youtu.be/_r2M16hAf4s?si=5U_Wkhc_QheXmgxN
前回載せて、後で見たらその説の事を言われていました。
ただこの方は山には古墳は無いとか言うもんで、「あるわ!」と、自分の中で終わらせてしまったんですよ 笑。
でも、本でも書かれていて、この説がほんまとするならって感じで思い出したのが豊富にある甲山。
甲山と同じぐらいの大きさの池、甲池があるんです。
甲池の説明↓
いつ作られたかは不明であるが、640年前(当時)には既に存在していた、と。
そんで、甲山には八幡神社がある。
主祭神は、
品太別命(ホンダワケノミコト)となっていて応神天皇然り、八幡(元々はヤハタ、ヤハダ読み)神として知られています。
そして八幡神社は稲荷神社然り、松尾大社然りで秦氏が創始であり、農業や土木工事何かも先住民である日本人に指導しています。
上の由緒には河や溝を掘りどやのこやの、応神天皇や農業の事も書かれている。
応神天皇がいつ来たのかは解らんが、西暦で言うと300年代やろうから1700年ぐらい前には既に甲山はあった、となる。(当時の名前は違うかもやけども)
友人がこの甲山は人工の山なんじゃないか?と言う見立てをしていたが、あながち間違ってないかもやなぁ 笑。
古墳の可能性があるかは解らんが、地形図を見ていて気になっていたもので、池や水路を掘り、盛った土で出来た人工山の可能性は大いにあるかもしれません。
ちなみに甲山頂上には三等三角点「甲山」があるが、水道局が管理?していたかでフェンスがあり、入られません。
甲池南は田んぼが良い感じです。
市川が如何に大事かがよく解る。
ってかよくよく考えたら甲山南には
横山古墳があるんよなぁ。
いやしかし冒頭の本、面白いです。
大和へのルートが私とは若干違う考察ではあるが、フムフムとなる。
あと昨日のブログで書いた「伊和」(イワ)について。
これ、ヘブライ語でもあったらオモロいよなぁ、と何気にググると↓
「伊」と「和」。
う~む。。。
姫路には「伊勢」があったりで、う~む。
悩ましい。