jfcgym’s blog

山と格闘技と私

言霊。

「言霊」と言うと近頃ではどうしてもスピリチュアルを介してオカルトっぽく聞こえる人が主やと思うが、言霊とは私的には端的に言っても「力」です。

念力だとか、説得力も然り。

なんなら「美味しくなぁれ♪萌え萌えキュン♪」もそう言う事でしょう 笑。

それは楽しい気分になったりで美味しさが精神的に倍増される訳です。

これが逆に汚い言葉で罵り合ってる中で食べると不味くなる。

それもまた自分の精神が変換させてしまうのです。

 

音楽にも力はあり、その逆の無力もある。

単純なところでは作曲も作詞もしていない人の歌う曲はただのカラオケなんで、力なんてほとんど無い事やろうが、それに騙される人もいるのはいる。

上手さやビジュアル、身振り手振りでね 笑。

 

「アワ歌」や「祝詞」に効力はあるのか?と言うとやはり発信者がどれ程その言葉を理解しているのか、どれ程の想いがあるのか、しかもそれは受信者にも言える事です。

意味が解ってないのに、どこかしらで聞いて「感謝です!」ってアホですか?って話なんです。(口は悪いがほんまの事なんで)

そんな疑いもせん人がお注射打ったり、逆では陰謀論に騙されて訳の解らん物買ったりしているのです。

(光側闇側っつってアホかって話なんです)

(大元一緒なんやから 笑)

(トランプさんは認めたから許してあげましょうよ、ってそれ河野太郎にも言えますか?)

(それで言うと河野太郎には日本中の怨念が込められとるからロクな死に方をさせてくれん事やろう 笑)

(ってか「ロクな死に方」って面白い言い回しよなぁ)

 

これについては言霊だけでなく、例えば物にも言える事で、それは伝統的な工芸品だとかも。

想い入れが強い作品と100均なんかで買える物、そりゃ違うっての 笑、って話でしょう。

でもそう言う事なんです。

自分で作ったご飯は美味く感じる、残されたら腹が立つ。

それは時間然りで拙くとも力を注いだからです。

 

神社にある樹齢1000年の木や何万年も前からある磐だとか。

古神道の時代から人間が拝んだり、触れたりしているのでその分力が宿っている、と私なんかは思うのです。

それで言うと社殿も宮大工さんが丹精込めて建てるんやからね。

今みたいな50年プラモデルハウスとは違って数百年保つ、代々紡いできた伝統的なやり方でやっているのです。

それも朽ち果てれば土に帰る自然由来の物で。

 

そんで、その言霊を悪用する輩もいるのも事実。


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この様に。(「悪用現金!」がポイント)(あ、「お金持ちが唱えている」も「教えます」もか 笑)

胡散臭く聞こえてしまう原因の1つ。

金なんぞ取らんでええのに。

本来はお金を取る様な事じゃないんやから。(宮大工とは違って口1つなんやからね 笑)

お金に縛られてます、って言うてる様なもんやがな、と。

慈善事業、ボランティアでやれと?

そうですよ 笑。

それが嫌ならやらなければいい。

何故やるのか?

儲かるからやろ 笑。

「信者と書いて、儲かる」その通り。

そんな詐欺師みたいな奴らは無料なら絶対やらんと思うな 笑。

そんな邪な気持ちに良いエネルギーがあるとは私には到底思えません。(なんなら負のエネルギーだらけやろ 笑)

(負のエネルギー(迷える子羊)を集めて儲ける、それを宗教と呼ぶ)

自分の為だけにやればいいんですよ。

他人様の為にやるのであれば、ひっそりと1人で、心の中で。

 

※当ブログはお金は一切発生してないのでただの自己満でやってます 笑。

 

↓こっちは悪用と言うのかは何とも言えんが、


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https://youtu.be/hLGMm6c_BCA?si=R5HGfYjvOAkP0UH0

5年前にアップされたもので、何度見ても考えさせられる。

「三島の大義」と題してブログを書こうとした事もあったが、私にはその当時の大義が無いもので未だに書けず。

(三島は立派やが自殺はどうのと言う下品な輩は50年ぐらい無口でおってくれ)

(現代の感覚で昔を見ようとすな)

 

 

あとお時間がある方はこちらもどうぞ↓


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志村の方↓

https://youtu.be/thjWA2f9-qs?si=9Fl5lhW6hKxHJ9Cv

 

弓道の方↓

https://youtu.be/hJJ8uxskoy4?si=08g9QowPN7NbmolC

 

そんな訳で結局のところ、言霊とは「力」であり、理屈なんです。

それが積み重なる程に力が増す。

君が代」は天皇の為に作られた云々、いやいや「君」とはイサナ「キ」とイサナ「ミ」からだ云々。

そんな粗末な言い争いをしようが何をしようが、日々どこかしらで唱われていたりするので霊力は高まっているのですよ 笑。

かつての巫女(シャーマン)さんは本気やったんやろうし、この腑抜けた時代には無い「力」があったのかもしれない。

誰かの言葉が誰かの将来を決める、或いは変える、勿論良い意味でも悪い意味でも。

それはある意味では説得力に負けた、と言う事でもある。

それを今風に言うとマウントと言う奴で、今でも繰り広げられている訳です。

 

言っても私としては君が代の君はイサナキとイサナミが由来、の方がロマンあって良いなぁ、なんて思ってますが 笑。(たぶんちゃうやろうけども 笑)

なんなら君が代の君は天皇の事としたのは今で言う政府なんやから、それこそがこじつけやろって思うな 笑。

1000年以上も前の詞な訳でそれを曲付けたのが明治初期、国歌としたのはつい最近の1999年ですよ 笑。

1000年以上も前に作られた詞に何してくれてんねん、ってな話です。

曲付けるどころか詞まで変えやがって、と。

ナメとんのか?と。

(著作権どないなっとんのや、と)

勝手な事こじつけんなよ、と。

(著作権どないなっとんのや、と)

そんな下品な誘導をせな忠誠を誓えない存在なんですか?と。

(著作権どないなっとんのや、と)

音楽をやっとった、作詞作曲をやっとった者やからこそ言える大いなるツッコミですね、うむ()

 

それでも霊力は高まっている、それが近代の君が代

日本人として育ったのであれば、君が代を唱って心を落ち着かせる、それも良いと思うけどなぁ。

自分の為にでも、大切な人の為にでも。

元々は「我が君は」で「長生きしてね」的な、めっちゃ良い詞なんやから、歌わずとも、読み上げるだけでもね。