昨日は奈良へ墓参りに行きました。
その前に母方の今は亡き長男の家へ仏壇に手をあわせに。
そこでずっと気になっていた家系図やじーさんの嫁さん側の宮司について聞いたところ、
※左側は名前等諸々が書いている為切っています。
城洲乙訓郡~と書いてあり、これを検索し、
左下のマップにも「石清水八幡宮」が出てきた。
小さな神社を想像してましたが、ベラボウにデカい八幡宮でおました()
しかも、
地元姫路の男山八幡宮はこちらの分霊だったのです。
「津田」の名然り、ほんまに縁があるんやなぁ、と。
ばーさん側の家系は秦系か?と考えると何とも言えないが、
墓を見たら、
藤原系と刻まれていた。
こちらはじーさんの嫁さん側の墓で、
じーさん側は、
※どちらも神道です。
私の記憶通り丸に梅鉢で、どちらかと言うと菅原道真公寄りで(もちろん直系等ではありません)、私の名字から言ってもおそらくそうなんやろう、と。
その為複雑な結婚、と言うか何と言うか 笑。
ま、本人たちはそんな事考えてもなかったんやろうなとは思うが。
ただ家系図を見ると、私の名字側の1番上に書かれていたひいひいじーさんは養子に来たように書かれていた。
「○○○○の次男 明治三年二月一五日家名存続 弘化二年一月一二日出生」と。
その名字を調べると、全国にはめちゃくちゃ少なく、
(およそ60人、少なっ 笑)
※ちなみに「弘化」とは、
の事です。
※ちなみのちなみに、
「里、大和國」とあり、時代やなぁ、と 笑。
その名字でまた検索すると、女性が出てきて顔を見ると、驚く事に私の母親にめちゃくちゃ似ていたのです。
家系図に書かれていた事然りで私のルーツはそちらにもあるんやろなぁ、と。
地元姫路にもごく数人、その名字の方がいたので機会があれば訪ねてみたく思う。(店をやっておられるので)
あとよく解らなかったのが、
こちら。
右上には「紀州家」と書かれていて、その縦列の6段目には「吉宗卿」とある。
これはどう考えても紀州徳川としか思えんが、何故この様なものがあるのか不可解でした()
徳川を覚えろって事なんやろうか?笑。
天皇と言う存在が世に出てくる前は庶民には徳川が神様みたいな存在やったやろうから。
兎にも角にも、御先祖様に結婚の報告がようやく出来てホッとしたのと、私のルーツが少し解ったのと、身内に会えたのと、行って良かったです。
それから、
私のじーさんの写真。
母親から写真等を受け継ぎました。
口伝然りでこうあるべきやと深く思った次第であります。
ちなみにじーさんは東洋医薬の薬剤師やったそうで、私が東洋医学の本を読むようになったのが、なんとも血筋やなぁ、と 笑。
最後にオマケで、
お墓まで案内してくれる身内が饅頭屋に寄るとの事で、店に着き車から降りると
偶然にも程があるやろっつって、私はこれまで伊和大神、伊和神社、宮山を通して大神神社や三輪山に是非とも行きたかったのです。
残念ながら時間が無かったもので、中までは行けなかったがいつの日か、是が非でも行きたく思います。
いやしかし色々と引き寄せられとんなぁ、と。
ほんまに不思議や。