昨日はここまで。(右は比較として)
大体の形は切る前に穴空けてから。
そんでペーパー当てたり、木や布で磨いたり。
今日↓
まだ完成では無いが(完成がよく解らんが 笑)、ここからは革紐通してチョーカーにするか、鍵のアレにするか、う~む。
まぁ兎に角やろうやろうと思っていた事をようやくやった。
昔の人はどうやっとったんやろう?と考えながら。
石が主で作るんやろうけども、こう現実的に考えるのも野暮やが、税金だの家賃だのローンだの、仕事だ学校だと考えなくていい時代やからこそ時間がたっぷしあって出来る事なんやろうな、とどうしても考えてしまいます 笑。
鉄なんかモロそうやが、製錬と言うのか生成と言うのか、兎に角凄いよなぁ、と。
どうやって思いついたんや、と。
偶然?
う~む。
播磨は鉄がめっちゃ盛んなので(新日鉄神戸製鋼の前に播磨國風土記で記述されている様に)、気になるところです。
時間はたっぷしあったとて、ですよ。
現代人には無理やろなぁ。
昔の人は道具から作らなアカンのやからね。
いや、その基となる物の調達からか 笑。
大変な事です。
そんで、昨日は
向かって左側のシャツのボタンを、右側のシャツのボタンから付け替えたり等した。(何年かぶりに着たくなったので)
左のシャツは16歳~17歳辺りから着ているので、23~24年選手やな 笑。
しかも古着屋で買ったから実際はもっと前の物になる。
グラムロックファッションと言うか、70年代ら辺のそう言うのが好みで10代時は古着屋行っては結構漁ってた記憶。
(私は当時「グラムロック」のワードも知らんし、古着屋でたまたま見つけてからなので「シャカシャカ系」と言ってたな 笑)
(もうここまでくれば一生着るかもしれません)
(おじいちゃんの方がむしろしっくり来る)
畑の様子↓
カボチャが良い感じです。
トウモロコシ。
網干メロン。(マクワウリ)
ゴマ。
プランターでやってるトマトやキュウリは育ちが悪く、原因はやっぱし気温かなぁ。
隠れる所が無いもんで。
畑の方は隣にシソを植えてて影になってたり、ウリ科が這いまくってそれも影になったり、あと苗周りに抜いた雑草を敷いて土の乾きを抑えてたりしているので順調です。
ちなみに水はだいぶ暑い時は1日3回やってます。
少なくとも朝、夕の2回。
それが出来ない畑や農業学校等で教わる様な事しかやらない畑では今シーズンの野菜は厳しいかもですね。
その為夏野菜は高騰しても何の違和感もありません。
(なんなら水不足となる可能性もある)
※訂正
来週から天気悪しです()
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub8.html
(試験か何かで気候操作やっちゃってんの?笑)
ま、暑いのは今に始まった事ではないですが。
https://www.nippon.com/ja/features/h00268/
上の記事内で「日本で初めて気温が40度を超えたのは、1927(昭和2)年7月22日」云々と書かれているが、計測する術が無かっただけで大昔でも40度超えはあったやろ、と思うのは私だけではないはず 笑。
言っても畑は結局のところ肥料どうこうではなく、土の温度と乾きを抑えるのが良い、と言うところに落ち着きます。
昔の人はどうやっていたのか?と考えると、やっぱしシンプルなもので、お陽さんと土と水。
農機具の歴史と言うか、普及か。
それは第二次世界大戦以降で、敗戦国の日本は言われるがままな訳で、農機具然り、それを動かす燃料然り、化学肥料、農薬、資材。
ほとんど石油なんやから。
石油と言えば利権でしかない。(9.11の背景も石油ぶん取る為の工作としか思えん)
農機具を借金してまで買わされ、その借金を返す為に農業が副業化し、出稼ぎがメインとなり、挙げ句の果ては減反すれば補助金上げますで騙されついには農家を降りる。
本来は自分たちで食べる分だけで良かったのにね。
それなら農薬なんて機械なんて要らんのやから。
農家まで競争され、の今。
日本の田畑は薬浸けでボロボロですよ。
その田畑の果ては埋められソーラーパネルが敷かれてる。
便利や楽を覚えさせられた結果、悲しい現実な訳です。
自称保守派は何とも思わんのやろうか?
「共産党ガー」「民主党ガー」とガーガー言うとるアヒルマンなだけでその中身とは皆無や。
むしろ私からすれば自民党も共産党も違いはそこまで無い。(いや、共産党は自民党の盛り上げ工作党ぐらいにしか思ってません 笑)(つまるところマッチポンプです)
なんやったら実質的に売国しまくっとる与党、政府の方が悪であり左翼ですよ。
尤も敗戦国やから従うしか無いのも事実なんやろうし、しょうがないと言えばしょうがないけども。
そこで言うと戦争で稼ぐ奴らが悪よ。
そんな訳で日本復興はコンビニを無くす事からかもしれません()