jfcgym’s blog

山と格闘技と私

諸々な日。

竹のコップをそれとなく作る。


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ま、こんなもんで 笑。

畑の様子↓


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ニンニクがもう少しで収穫時。

試し堀りをしたがめちゃくちゃ小さかったなぁ。。。

まぁしょうがない。

 

あとこちら↓


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を、注文。

水木しげるが生前時に御告げのような夢を見たか何かの内容らしく、気になったので。

漫画家や画家、アニーメーターもかな、時おり「降りてくる」みたいな事があるみたいですね。

でもそれにはやっぱし経緯と言うものがあると思う。

間違った情報を描こうものならクレームが尋常やないやろうしで、その分調査力もハンパやない事やろう。

その情報収集した内容が夢に出てくる、と言うのなら頷けます。

と言うか私もたまにあるので。

なんなら夢遊病や寝言と酷い 笑。

でもそれを表現の場で出すと言うのが凄いですよね。

宮崎駿氏が現代ではその筆頭でしょう。

 

昨日も昨日で↓


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お寺の掃き掃除を。


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腐葉土作りの堆肥場前が雑草でドエライ事になっとるからまたチマチマやりにいこう。

(いつかサッパリさせるぐらいののんびり気持ちで)


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紫陽花が良い感じでおました。

 


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あと昨日はお寺に行く前にリサイクルショップに寄ると、バケツが欲しいとは思っていたが、何やらコロナビールのバケツがあったので、ついでやからと酒屋にも寄ってコロナビールを購入し、2~3年前の全盛期なら下手したら炎上するであろう小ボケをインスタグラムでカマしましたが何の反応も無かったのが逆に面白かったです。


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(ボッ)

 

あとこちら↓


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1981年4月発行の?「季刊 邪馬台国 特集・大和朝廷の起源」

を、明るい内に読んでいたが、まぁこの当時はまだまだ情報が薄いのか現代に色々情報が出てきた感覚の思考で読むには少々、「いやいや」感が否めん。

ただ興味深い内容もあった↓


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三輪山は整美した雄大な美しさをもっている。そのため後世には、大和平野の中で最高の聖山として崇められるようになった。そこで大和朝廷の発祥を権威あるものにするため、三輪山に付会した物語にしたのにすぎない。」

と、これを書かれている方の邪馬台国(戦後の字ですが)は九州(特に上の方)と思っている為に皮肉も入っているがこの後が↓

「古く三輪山を聖林とする部族は、天皇族ではなく磯城族であった。」

とあり、こちらに私は興味が沸いたのです。

興味がある方は是非とも調べてほしいのですが(磯城族については今回は触れません)、奈良はその昔(大昔)巨大な湖があったとは聞いた事がありました。

大阪もまた然りで。

その当時には琵琶湖は無かった、とも。

その当時と重なるのかは解らんが播磨国風土記によると播磨には十四丘と言う、ま、なんやろ、伝承、言い伝えがある。

言っても播磨国風土記が編纂されたのなんて700年代ぐらいのものなんで、まだまだ浅い情報誌。

奈良に湖があったのはもっともっと大昔です。

ただその播磨十四丘なんやが如何せん不可解な点が多すぎる。

語感だけで決めつけるのは如何なものか、と。

その十四丘には入れられていない「蛤山」の標高は125m。

蛤山とは名前の通り貝塚が発見されていて(蛤を見つけただけやったか?笑)、端的に言っても大昔は海やったのです。

十四丘に数えられる因達神山は、今の八丈岩山で標高は172m(細かい数字は省く)。

これはまぁ解ります。

船丘、景福寺山で言うと51mなんですよね。

波丘(名古山)はもっと低く42m。

箕形丘(秩父山)なんて20mですよ。

この播磨国風土記が編纂された時代こそ蛤山周辺は海では無かったやろうけども、蛤山の方が十四丘に数えられてもおかしくはないやろう、とまぁ単純ではあるが 笑。

単純と言うか、蛤山には播磨國五之宮高岳神社があるにも関わらずですよ。

しかも磐座がある。

どう考えても。。。

う~む。。。

やっぱし播磨国風土記はよう解らん 笑。

謎な事が多すぎる風土記や。

いやしかし十四丘だけでも改めて検証したいと言う気持ちはあるなぁ。

これが仮に低い丘が古墳だと言うのなら解るんです。

古墳でなくても、田畑を作る為に盛られた丘だとか。

何かが無いとなんでそんな小さい丘を十四丘に数えんねん、とツッコまざるおえん 笑。

ってのが正直なところ。

「丘」と言う定義と言うか、なんやろ、それ込みで言うてもなぁ。う~む。

 

あと年明けの能登半島地震では確か海岸の数mが隆起した事も思い出した。(やからこそその地震に関しては人工地震なんて事はありえん)

例えば今朝の散歩では、


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加茂神社に行ってきたんやが(勿論いつもの氏神さんのとこにも)、


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由緒にはこう書かれていた。

「この社は岡田にあったが、永亨四年(一四三三)の大洪水に中構の地に遷し、その地を今に加茂村と称せりとあります」とある。

大洪水や地震、噴火等を繰り返して今日の日本列島があり、播磨がある訳です。

尚更十四丘の検証をしたくなるなぁ、と 笑。

(これちゃんと考古学的にも検証出来たら出版出来るレベル)

あと江戸時代の「天和」を「てんな」とフリガナが打ってある。

今ボランティアで行っている三和寺の読みも「さんなじ」と言い、「そんな読み方ある?」と思っていたが、よくよく考えると「和」は「和む」とも言い、「な」読みもあったな、と 笑。

海外の人からすると日本語ってややこしくてしゃーないやろなぁ 笑。

方言まであるし、しかも若者は新しい言葉をドンドン生むしで。

 

最後は、

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説教ボードで〆。

(今回はエモい 笑)