まるでセミナーみたいなタイトルではあるが、私のブログを見ている人には頷ける事かもしれない。
コロナワクチン、ウクライナロシア戦争、台湾有事、インフレ、各分野に於いてのグレートリセット。
これ等を予測し動いている人たちは自分で情報を取りに行って考え、行動していると思われる。
例えば備蓄であったり、資産運用、防衛であったり。
その行動に至るまでは登山に於いての下調べ、下見、準備、装備の確保にあたる。
格闘技で言えば基礎の反復と技の鍛練、それを十二分に発揮させる為の体力作り等。
そして実行中にも考えまくる。
どうすれば安全にたどり着けるか。
ざっくり言っても登山と格闘技は人生を豊かにさせてくれる。
単純に自我形成ですね。
今起きている問題を「難しい事は解らない」で蓋をしている人たちが所謂洗脳をされていて、言われるがまま、流されるままとなっている。
登山や格闘技ではこれらはありえない。
危険ですから。
登山では例えばグループ登山でリーダーに任せっきりだとか。
格闘技ではジムの会長やトレーナーに任せっきり。
それでは関節を痛めたり怪我の元となってしまう。
人には体の動かし方と言うものがあるので、それは人によってそれぞれ違う訳です。
技のゴールはあっても道は別、とするのが私が理想とする格闘技。
2009年の夏、北海道のトムラウシ山で悲惨な遭難事故があった。
それは登山ツアーで参加者は18名、内のガイドを含む8名の男女が亡くなった。
ここで考えなければならないのは「かわいそう」ではなく、「何故そうなったのか?」と言う事。
起きるべくして起こった遭難事故と私としては解釈している。
この事故は著書も出版されたり、最近ではYouTubeにも解説動画が上がったりしているので各々が調べて考えてほしく思う。
登山では単独行を邪道とする者もいるが、単独行とは全て自分でやらなければならないので私としては全登山者に薦めたい所存。
ただしそれは自分の力量や知識、装備等々相応の山、ルートが大前提として。
それらが少しずつ高まればグループ登山でも、例えば「ここからここまでを私が、アナタが先頭、後尾で」等と負担を分散出来る。
自分で考え行動するのは登山も格闘技も同じで、双方共に自我形成の良い肉付き、或いは血となり骨ともなる。
当然健康にも良い。
そして社会をしっかり見れる様になる。
登山中やジムでのスパー中では違和感を違和感のままにしておくと事故の元。
疑いまくってナンボや 笑。
それは今起きている問題にも言える事。